Kaz南沢(カズ南沢) オフィシャル・サイト

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Biography
【1952年12月11日】
東京に生まれる。
【1966年~】
当時中学3年の頃、同級生の兄が率いるバンド、Mother's Childrenにボーカルとして参加、パーティー・バンドとしての活動を始める。このバンドの核だった福田兄弟は後にさだまさしのバックバンドメンバーとして活躍する。
高校受験の頃にギターに目覚め、高校時代にB.B.キング、マディー・ウォータースなどのブルースに触発される。
【1969年~】
高校在学中、地域の仲間を通じてチャーこと竹中尚人に出会い、卒業後の1971年頃、2人が核になるバンド‘Paradise’を結成し、後にこのバンドは‘Shock’と改名される。このバンドには後輩のドラマー、藤井章司(後に一風堂)とともにキーボード・プレイヤー、アレンジャーの佐藤準も在籍した。当時、ハードロック・バンド創成の時期でありながらも‘Shock’はヤマハ音楽振興会によるバックアップを受け、その将来性に期待を持たれていた。しかし当時の日本の音楽業界の中でバンドとして活躍できる場を期待していなかった南沢はその頃出会ったアメリカン・スクールのバンドにより自由な音楽性を感じて‘Shock’を脱退し、 ‘Lex Brodie Band’に参加した。この脱退の陰にはボーカリストとして文化としての英語を歌っていないと痛感していたことも大きな要因としてあった。(当時、日本語で歌うロックバンドは‘Happy End’などを除いてほとんど皆無だったといえる)新たに参加した‘Lex Brodie Band’は各外国系学校、アメリカン・クラブで演奏活動を続け、一方、フロントのボーカリストを失った‘Shock’はこの後ボーカルに金子マリ、ベースに鳴瀬喜博を迎え‘Smokey Medicine’へと発展する。この時期南沢は吉田拓郎や泉谷しげるなどを中心としたエレック・レコードで生田敬太郎のバック・バンドにも在籍した。
【1973年~】
‘Lex Brodie Band’の主要メンバーが大学入学の都合でアメリカに戻る事になったため、翌年それを追いかけて渡米し、L. A. 近郊、オレンジ・カウンティをベースにした日米混成バンド‘East West Connection’を結成して活動する。このバンドは当時ローカル誌などでも注目されたが、その後、機材盗難などの不運とともにバンドは解散し、南沢は単身ハワイに渡る。そして個人的にハワイで地元のミュージシャン達とクラブなどでの仕事を経て1977年に帰国する。‘Lex Brodie Band’の頃からともに活動したドラマー、Robert Brill はこれから10年ほど 後、L. A. で‘Berlin’というバンドを結成し、映画“Top Gun”のテーマ曲、”Take My Breath Away”でプラチナ・ディスクを獲得している。
【1979~1980年】
原田真二のデビュー・バンドに参加するが、1年足らずで脱退。その後、もんたよしのりの”もんた&ブラザース”に参加するが、”ダンシング・オールナイト”でのデビュー直前に脱退。同時期、ジョン山崎、マシュー・ザルスキー率いる”School Band”に在籍したが、これも短期間で解散。
【1982年】
”ミック”こと故山本翔のバンドに短期間参加した後、”The Bubble Gum Brothers”(以下BGB)に参加。
【1986年~】
BGBのバンド・リーダーとして活躍する中、自己のバンド‘Driving Wheels’を結成する。このバンドは同年9月に黒人音楽の殿堂であるニューヨーク、アポロ劇場に日本人バンドとして初めて出演し、地元誌、Village Voiceでも絶賛された。‘Driving Wheels’は、1992年1月に江戸屋レコードからオリジナル曲を2曲発表している。バンドのハーモニカ・プレイヤーの仲村哲也はその後渡米し、日本でも多くのファンを持つ L. A. ベースのバンド、‘WAR’でリー・オスカーの後継として活躍している。
【1990年】
BGBは"Won't Be Long"でミリオン・セラー・ヒットを達成する。
【1994年】
南沢は遅ればせながらも、都内各ライブハウスでソロ活動を開始する。また以前からの翻訳活動から派生した分野で、音楽誌への執筆も始め、リットー・ミュージックの「アンプ・ブック」にも執筆。 同年、アメリカの2大ギター・メーカーのひとつであるギブソン社、東京オフィスの外部顧問となり、1年ほど在籍。同年3月BGBバンドを脱退。6月、フェルナンデス社内のハイワット・アンプ開発チームの顧問に就任、1年半ほど在籍。また、山岸潤史、吉弘千鶴子とともに結成した和洋折衷バンド、‘東京ガンボ’は三味線、バイオリンを含む楽器編成のユニークさからも注目を浴び始めたが、発起人であった山岸の翌年の渡米によって活動中止となった。
【1995年】
デモテープがイースト・ウエスト・レコードを通じて、エリック・クラプトンの出世作である“John Mayall & Blues Breakers”のプロデューサー、マイク・バーノンに聴かれ、その才能が認められたが、彼らのフィールド内に存在しないミュージシャンとしてその展開がイースト・ウエスト・レコードの覚悟次第であると論じられた。翌年3ヶ月間渡英した南沢はロンドンのミュージシャン達との交流を深めて帰国した。
【1998年~】
ライブ活動をより広範囲に拡張する中、ソロワークへの認知を求めて精力的に活動。
【2000年】
新世紀に向かって自費製作オリジナル・シングル、“時代よ変われ”を発表。
【2001年】
Bob斉藤とRainey's 加藤の3人を中心とするRainey's Bandを結成、東京のライブハウスで定期的に活動中。
【2003年】
Rainey's Bandの初ライブCDがRoots Musicレーベルよりリリース。
【2003~2004年】
東京六本木ハード・ロック・カフェでレイニーズバンド、ドラムレス・ユニットによる定期ライブ・ギグが行われる。
【2004年春】
ロックンロール・ホール・オブ・フェイム・スターである大御所、Bo Diddleyバンド日本ツアーのギタリストとして抜擢され、横浜モーション・ブルーでの5日間にわたるステージを皮切りに日本全国6個所のツアーに同行。
【2005年春】
Bo Diddleyバンドのオーストラリア・ツアー・メンバーとして再度抜擢され、ゴールド・コーストのバイロン・ベイにおけるBlues & Roots Music Fes.を皮切りにメルボルン、シドニーへのツアーに参加する。
【2006年】
Rainey's Bandのセカンドアルバム、“Patience and Forgiveness”がSpice Recordsから発売。
ソロ活動もベースの山本よしたか、その他と精力的に続行中。
【2008年9月】
サードアルバム“Push”発表。好評発売中。
【2009年】
伊藤広規(Bass)とKKセッションという名でデュオとして活動開始。横浜Zaim Cafeを中心にライブ活動を始める。また、マック清水(Perc.)、横内タケ(Guitar)、伊藤広規(Bass)、小田原豊(Drums)とともにロックユニット、Earth Brewを結成。スケジューリングの難しさから非常にゆっくりと活動中。同時に荻窪ルースターで始まったブルース&ファンクユニット(江口弘史-Bass、波田野哲也-Dr.、須川光-Key.、和泉聡志-Gtr)が来日した巨匠ドラマー、James Gadsonにいたく気に入られ、Groove Signというバンド名を頂戴する。このユニットも非常にゆっくりとした足並みで活動中。
Discography
- 「Live at R's Court」/Rainey's Band
- 「patience and forgiveness」/Rainey's Band
- 「PUSH!」/Rainey's Band
Kaz南沢(ヴォーカル・ギター)、Rainey's加藤(ベース)、Bob斎藤(サックス)の3人が中心となるRainey's Bandの2003年2月28日、東京新大久保”R's Court”でのライブの模様を収録の一枚。2003年8月27日発売。全10曲。
Rainey's Band待望のスタジオ録音作。日本を代表するミュージシャン達が集結したこだわりの一枚。オリジナル9曲に加え、スティービー・ワンダーの名曲「Higher Ground」等を収録。2006年6月21日発売。全11曲。
Rainey's Bandの前作から2年ぶりとなる最新スタジオ録音作。表題曲「PUSH!」を始めとする心地よいソウルミュージックを多数収録。2008年9月24日発売。全9曲。
Schedule
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Diary
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Linx
- Rainey's Band
- レイニ―加藤
- ボブ斎藤
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